伝統工芸品「名古屋仏壇」
その前に・・・・
仏壇の起源
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インドで興起した仏教が、中国を渡り朝鮮半島を渡りわが国に伝わったのは5.6世紀ごろ、そして、仏壇の起源は、「日本書紀」によると、天武天皇白鳳十四年三月二十七日「諸国に して、家ごとに仏舎をつくり仏像及び経巻を安置して、礼拝くようせしめたまへり」とあるのが仏壇の始まりと言われている。 今日のように「仏壇」と呼ばれるようになったのは、平安末期か鎌倉初期のことと思われ、「仏の壇場」を略した意味と考えられている。そして、その置き場所にふさわしい壇場として「床の間」がその用とされていた。
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仏壇の普及
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江戸時代に入り、檀家制度が確立し各家単位の「仏壇」が普及するようになった。 京都に源流を持つ仏具の製造工芸が、このような檀家制度により需要の拡大、しだいに全国各地へ波及し、それぞれの地方文化を吸収しつつ、その風土に適応し独特の様式を形成し、発達していった。
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名古屋仏壇の起源
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江戸時代以降の檀家制度の確立により、様々な地域に波及した仏壇製造。この地「名古屋」においては、高度な宮大工、寺大工といった高度な技術者によって研究され製作されるようになった。 特に、濃尾平野の水害に対処した工夫として、台を高くして、全体が四段階に分かれており、運搬に便利である事があげられる。 また、台の部分は"まくり"(台の下の部分が手前に開く)構造・登高座の収納など、機能的にもすぐれた例を見ない特長が形造られていった。
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名古屋仏壇の現況
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「名古屋仏壇」といえば、名古屋及び近郊で製造されるべきものであるのに、それ以外の他県、「ベトナム」「中国」のようなコストのかからない東南アジア等で製造され、「名古屋仏壇」のコピー版「名古屋型仏壇」が多く流通しております。 このような状況から、「伝統的工芸品証紙」や「伝統技法証」のマークを貼り付けるなどして、差別化しております。
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伝統工芸品「名古屋仏壇」とは・・・
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このステッカーをご存知ですか?
消費者が伝統的工芸品を安心して購入できるよう、経済産業大臣が指定した技術・技法、原材料で製作され、産地検査に合格した製品には、「伝統マーク」をデザインした「伝統証紙」が貼られます。また、伝統的工芸品を素材に使用し、産地検査に合格した製品には「素材証紙」が貼られます。
「名古屋仏壇」は、伝統工芸品産業の振興に関する法律の規定に基づきこの指定を受けました。この指定を受けることの出来る仏壇には様々な技術や技法があります。
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「名古屋仏壇」の造り
「名古屋仏壇」は、「八職」と称される職人たちによって製造されます。 「八職」とは、仏壇製造に欠かせない八部門の専門職人たちの呼称です。 「木地師」「荘厳師」「彫刻師」「塗り師」「蒔絵師」「外金物師」「内金物師」「箔置き師」の八部門がこれにあたります。「彫刻師」には「前彫り師」と「内彫り師」に別れています。この八部門以外にも、「天井師」「蝋色師」「仕組み師」がいなければ一本の仏壇を仕上げる事が出来ません
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製造工程
仕様規定(以下の基準を満たさないと伝統工芸品の証紙を貼る事は出来ません)
項目
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技術・技法
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材質
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木地
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- 構造は、「ほぞ組み」による組立方式であること。
- なげしは、「直線なげし」または「かぶとなげし」とすること
- 障子は「通し障子」または「花頭障子」とすること
- 台は「みつまくり」を備えたものであること
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- ひのき、けやき、紫檀、白檀などもしくは栓または、同等の材質とすること
- 節割れ、虫害等の部分を除いた用材であること
- 含水率15%以下のようざいでさること
- 合板の使用は、脇板、後ろ板、台上板と師、厚さはそれぞれ6ミリ以上とする。
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荘厳
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- 肘木ます組とし、塗装、箔置き等の作業を容易にする為、分解結合が出来る「ほぞ組」であること。
- すべて名古屋地域内で製造されたもの
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同上
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彫刻
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- 分解できる構造である事
- すべて名古屋地域内で製造されたもの
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ひのきやべにまつ等同等の材質とする
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塗り
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- 精製本漆による手塗りとすることとし、「木目出し」部分はすべて蝋色仕上げをすること
- とそうめんは厚さ、つやが均一である事
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天然漆を精製した塗立漆、箔下漆、朱合漆等を使用する事
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錺金具
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- 手鍛造金具であること
- 一部には機械作りのものも認める
- 錆止め加工が施されたものである事
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真鍮、または銅板を使用すること。
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蒔絵
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純金粉使用、手書き蒔絵である事
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純金粉、白金粉、等を使用する事
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箔置
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すべて金箔手置きとする事
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金箔を使用すること
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